かつて米店であった建物を利用した工房に足を一歩踏み入れると、そこにはワクワクするような物との出会いが溢れていました。
ゲスト:河原正弘 (版画工房カワラボ! チーフプリンター)
聞き手:小林裕幸 (ART FOR REST クリエイティブプロデューサー)
──刷師が支える、作品の品
小林裕幸(以下、小林):今回は、このコーナーでは初めて作家以外の方にご登場いただいているんです。
ART FOR RESTで取り扱っている版画作品は、全てカワラボ!さんで制作いただいているのですが、これまで多くの機会をご一緒させていただくなかで、河原さん自身をもっと知りたい、知ってもらいたい、という思いが大きくなったことがきっかけなんです。
河原正弘(以下、河原):お会いした当初から、我々の活動に興味を持ってくださっていましたね。
いまやカワラボ!のスタッフのように、ここに初めてお越しいただく作家さんに工房についてご説明くださったり、我々の活動に共感していただいてとても嬉しいです(笑)。
小林:作家に工房ツアーをしてみたり(笑)。
河原さんの手によって刷り上がった版画を見ていると、作品を世に送り出す刷師の力を感じるんです。だから、今回は河原さんのルーツやものづくりへの考えをお訊きしながら、作品に宿る力について知ることができたら、と思っています。
河原:僕らの仕事はギャラリーや美術館からの発注とか、基本的にはクライアントがいて成立するものなんです。
小林:刷師って、作品の一番奥にいる感じがします。
日本だと江戸時代に大きなブームをもたらした浮世絵で考えても、版元がいて絵師がいて、そして刷師がいる、という風に。そもそも、刷り師が表舞台に出るというのはほとんどない気がするのですが。
河原:そうですね。あまりなかったはずですね。
1960、70年代にちょっとした版画工房ブームのようなものはあったけれど、特殊な出来事だったと思います。日本でも版画工房で長く続いている所はそんなに無いんです。
小林:表に出ることがない世界にいるというのが面白いな、って思います。
我々は完成した版画作品を目にしますけれど、実際はどうやって作っているのか、刷師の人の仕事を想像する楽しさがあります。
河原:デューラーやレンブラントの工房にしても、誰が何人働いていたか、なんて分かっていないし。むしろ作家本人が彫っているのかさえ──。
小林:分からない。
河原:でも、刷師である僕らは知っている。
小林:そう。
江戸前鮨みたいな事かもしれないけれど、そこにどんな技が込められているのか。
言い換えれば粋みたいなもので。
そういうものが版画にはあって、それが作品の雰囲気というか品のようなものにつながるんじゃないでしょうか。
──写真のルーツを辿った先に版画があった。
小林:河原さんの活動って、職人という言葉で説明できない部分もあると思うんです。
そもそも、作家でもあるじゃないですか。
河原:あまり前面に出さずにやり続けていて、いまも年に2、3作品を作っています。
カワラボ!で働くスタッフはみんな、刷師として活動しながら自分の作品も作り続けています。やっぱり、作る人の気持ちが分からないとダメだと思うんです。
小林:子ども時代ってどうでしたか?
河原:子どもの頃はサッカー少年で。
いまもサッカーは文化の一つのジャンルで、芸術だと思っていますね。
アーティスティックなサッカーをする人がつくりだす放物線の美しさ、っていうのは間違いなくそれだと思うんですよ。
小林:なるほど。
河原:その後は、大工さんになりたかった時もあって。
いまだにトントントントンDIYをやっているのは、そういう心地良さがあるのかも。
美術大学に入学してからは、作家を志望していたのでもなく、美術教師を目指していたんです。途中から作家志向になっていくんですけれど、その頃は主に写真を使って作品を作っていました。
小林:そこから写真と版画が繋がっていく?
河原:そう。
写真のルーツを辿ったところに版画があった、という。
小林:そうなんですね。
河原:さっき、工房で見てもらった銅版画は、銅板にグランドを塗って、引っ掻いたものを腐蝕液につけて製版するんですけれど、ニエプスという人が中世からあったカメラ・オブスキュラにその板を入れてみた、というところから写真の歴史が始まっているんです。
それで銅版画がやりたくて仕方無くなって。
小林:転写するってこと?
河原:そう。
ニエプスはその技術を応用して、窓の外を8時間露光してグランドを固め、世界で初めて写真を撮影するんです。余談ですが、ニエプスはリトグラフの写真製版の技術の特許を取りたくて、ラボラトリーという研究所を持っていたんです。ここもラボラトリーって言っているのは、それが由来なんです。
小林:身内に芸術系の人っていらっしゃったんですか?
河原:音楽かな。お祖父さんが牧師をしていて「静かな湖畔の森の影から」の作詞をした人で。
詞はYMCA野尻湖キャンプ場に引率で行っていた時に、結婚したばかりのうちのお祖母さんに宛てたラブレターだったみたいですね。
小林:すごいですね。
僕は作品にも、そういった河原さんのルーツや考え方が込められているような気がするんですよ。
──暮らしのなかにある物を見れば、その人の仕事が分かる。
小林:河原さんのご自宅には、版画がいっぱい飾ってあるじゃないですか。
暮らしのなかで、どんな感じで飾られていたらいいな、とかありますか?
河原:さらっ、と普段使いがいいかな。
これはさっき替えたんですけれど、フランスのマーグ工房が作った、エドゥアルド・チリーダのポスター。
どこかのギャラリーが閉める時に、数千円で売りに出されたものを買ったんだけど。
小林:こういうものがさり気なく家にあったらいいですね
河原:例えば、こういうチラシとかのパッケージ。よく見ると失われた印刷技術なんですよね。こういうものが二束三文で売られているのを見つけて手に入れたり。
高額な芸術作品ではないけれど、こういう本のページは印刷技術が使われた300、400年前のものなんです。
小林:どこで手に入れました?
河原:これはイタリアの蚤の市かな。
こういうものの延長に陶器の収集があったりして。染め付けのものとかタイルは、印判という銅版から転写する技術を使っているので、そこから集めはじめたんですけれど、そのうちに手描きのものにもいって。
小林:すごいな(笑)。
河原:僕は、傷ものも基本的に買うんです。金継ぎしたりとか、修繕するのが趣味で。
だから転売目的ではやっていないですね。絵柄が見られればそれでいいんです。
小林:こうして部屋を見まわしても、いろいろなものが飾ってあって、たばこ屋さんのhi-lightの看板とか(笑)。こうやって家に好きなものがあって、それによって生活が潤っていく、というお手本みたいなところがあるし、暮しのなかにある物を見れば、その人の仕事が分かると思うんです。
河原:陶器とかガラスってある一定のところでブレーキがかかるんですよね。部屋の広さとかしまう所の問題で。一方で、紙ものっていうのは割とコンパクトに収納できますよね。
──版画の楽しみかた
小林:河原さんの仰る通り、版画作品は価格やサイズ的に暮らしに取り入れやすいアートだと思いますが、飾る際に気をつけることはありますか?
河原:版画作品は、直射日光に当たらないようにする、風呂場とか湿度の高いところは避ける、ということは基本ではありますね。あとは、空気に触れさせない。紙の酸化を避けるためにきちんと額装しておくといい状態を保てます。
そうは言っても一点ものの作品とは違ってエディションがある版画だからこそ、割とラフに扱ってもいいんじゃないかと思います。
小林:さりげなく飾ってある、というのがいいですよね。
版画だからこそ、手に入れられる値段で長く楽しめるというのもありますし。
河原:この部屋に飾っている版画も蚤の市で見つけたものですけれど、きっと適当に保管されていたものでしょうね。それでも、70〜80年は経っている古いもので。まあ、運が良かったのかもしれないけれど、こうして今ここにあるという。
小林:自分が好きなものなら、それを楽しむために丁寧に扱うことが大事ですよね。こだわり始めたら大変なことになっちゃうし、家は美術館ではないですからね。
河原:僕なんかは、状態の悪いものを見つけてきて自分で染み抜きしたり、水張りしたりしていい状態に戻してみたりして楽しんでもいますよ。
PROFILE
河原正弘 Masahiro Kawara
カワラ・プリントメイキング・ラボラトリー チーフプリンター
1994年 東京造形大学 造形学部美術学科 絵画版表現 卒業
1994-2009年 版画工房勤務
2009年 版画工房カワラボ!設立 勤務
2011年 版画学会賛助会員
2013年 東京造形大学 非常勤講師