太古より悠久の時を経てきた、化石や壁画を彷彿とさせる肌理。
画布を塗り、削り、そして塗る──。
祈りにも似た手法で描き続ける、湯浅景子さんにお話を聞きました。
ゲスト:湯浅景子 (画家)
聞き手:小林裕幸 (ART FOR REST クリエイティブプロデューサー)
──スポーツに明け暮れた日々
小林裕幸(以下、小林):湯浅さんが本格的にアートを始めたのはいつですか?
湯浅景子(以下、湯浅):子どもの頃から絵が好き、という方が多いですけど、私は絵には興味がなくて。
勉強はできないけれど運動神経だけは良かったので、陸上部とかに駆り出される感じでした。
中学生の頃は陸上大会にハードルで出場して優勝したり、高校もスポーツ推薦で入学したんです。
小林:それは相当すごいことじゃないですか。
湯浅:だけど、ほんとに運動し過ぎていて、嫌だな、って思って。
スポーツ推薦で入学した高校では茶道部に入ったんです。
小林:そんなのある?(笑)
湯浅:短大に入ってからファッションとか音楽とか、そういうものに目覚めはじめて。
ある時、友人が劇団に入りたいって言って、私も見学のつもりでついて行ったんです。
それなのに、いつの間にかその劇団のチラシの絵を描く担当になっていたんですね。

小林:それはまた、すごいな。
湯浅:よく分からないままに描いたら「なんか、よく分からないけど、変でいい」って使ってもらえて。
褒められて、ちょっと絵を描いてみようかと思ったんです。
でも、描き方も何も分からないから、とりあえず画材屋さんでバイトをすることにして。
小林:その行動力はすごいですね。
湯浅:それで、画材を全部知って使ったなかで、私はこれとこれが好きだな、っていうのが分かって。
20歳ぐらいの時だったんですけれど、なんて言うか、絵のことを学んでいないが故に、ルールもないから、自由に描くじゃないですか。
小林:画材も含めて、組み合わせもですよね。
確かに、それが今に繋がってると思います。
湯浅:うちは弟に重度の知的障害があって。
その子が描く絵は、うまくはないけれど、面白いなって思っていて。
それで自分も自由に描き始めて。
小林:コンペティションでは、さまざまな賞も獲られていますよね。
湯浅:20代の頃は、絵を生業としていけるとは思ってなかったんです。
20代半ばから、趣味が高じて主人と友人との3人でアートブックショップを運営していました。
そこでは、洋書や日本の古本も扱っていたのですけれど、自分たちの企画で好きな作家の作品展示とともに本を紹介する、ということをやっていたんです。
お金にはなりませんでしたが、ずっと好きなことだけをしていたので、楽しくて気がつけば10年経っていました。
その間は絵は一切描いていなかったのですけれど、お店を辞めた時に、また絵を描いてみようって思って。
──絵でやっていく、って覚悟を決めたら
湯浅:絵を描くことを再開して、新井良二さんや山本容子さん、日比野克彦さんとかが審査員を務めるコンペティションに色々と出展しました。そうしたら、大賞が獲れるようになったりして。もしかして、この絵でいいのかな、って思い始めたんです。その後、宮本三郎デッサン記念大賞展で初めて美術館買上げの賞をいただいたんです。
小林:それはいつ頃ですか?

湯浅:すごく最近で、ここ5、6年のことですね。
自分はもう絵でやっていく、って覚悟を決めたら、うんと描くものが変わってきたし、
そうすると、周りの反応も変わってきたっていう状況で。
小林:来年以降もたくさんオファーがありますよね。
湯浅:私はSNSをやっていないから、皆さんどこで知ってくれているのかな、って不思議なんです。
小林:作品を拝見していると、SNSの投稿を見ていいな、って思われるタイプの作品じゃない気がするんですね。これはアートというものの原点だと思うのだけど、湯浅さんの作品って実際に向き合って見るものだと強く感じるんです。
湯浅:そうかもしれないですね。
小林:直接見ると、すごく印象に残るんですよ。
その体験を通して、ファンになった人が代わりに伝える、ってことがSNSではできますからね。
そういう方が大事だと思うな。
湯浅:色々なものにこだわって集中するタイプなので、
自分はアナログで牛の歩みのように一歩ずつやっていこうと思います。
小林:SNSのアカウントを運用している間に、絵を描けちゃいますよね。
だから、湯浅さんは自分のペースで創作活動に専念した方がいいと思いますね。
湯浅:そうなんです。だから、今はもう絵を描くのはもう午前中の集中力がある3時間だけに決めていて。自然光のあるところでしか描かないので、夜は一切やらないんですけど、たまに夕方まで描かないと追いつかない時があって。
そうすると、やっぱりバランスが崩れて具合が悪くなっちゃったりして。
──何百年後かに、こういう時代があったんだ、って絵になるといい
小林:売れている作品って、トレンド感のあるものも多く目にするけれど、
湯浅さんの作品は、売れようという、あざとさを全く感じないんですよね。

湯浅:自分でこうやりたいな、って思っているのは、洞窟壁画とかなんです。
古墳に描かれている絵とか。
そういうものが一番好きなんですよね。
小林:なるほど、それはすごく分かりますね。
湯浅:何百年後かに、こういう時代があったんだ、って絵になるといいなと思うんですよね。
小林:そういうところが、他の作品と違うのかもしれないな。
湯浅:コンセプチュアルアートにも憧れるんですけど、自分の絵はそういうものとは全く無縁だなと思っているんです。
小林:そうは感じないですけれどね。
描き方について言えば、塗って、削って、また塗って、貼ったりもするじゃないですか?
それってコンセプトがあってしていることだと思うんです。
湯浅:なるほど。
私、中学校の時に遺跡のボランティア活動に参加していたんです。
それで、塗り重ねてっていうより、塗ったものを掘って、という方法が自分に合っていると思ったんです。
小林:すごいコンセプチュアルだと思いますね。
塗るんだけど削りたくなる、っていう気持ち。
湯浅:初めはドライバーとか爪とか身近なもので削っていて。
針だと細かい線が引けるのが楽しくて、どんどん、どんどん細くなっているので、最近はまた太い線に戻したいな、なんて思っているんです。
湯浅:最近は、その技法の延長で特殊な紙を削って印刷する版画にも挑戦しています。
プレス機だけ知り合いの方にお借りして、使い方とか技法は自分で調べて。
でも、結局のところ、複製ができるはずの版画をやったのに、版が潰れてしまうので1枚の版で10枚刷るのが限界で。さらに毎回、刷り上がりも少しづつ違うんですよね。そうなってくると、結局また上から貼りたくなってしまって。
小林:版画だとエディションを切りますが、それはやっぱり一点ものの作品ですね。
湯浅:そうなんです。
10枚刷って1/10じゃなくて、全部1/1になってしまう。
小林:湯浅さんのやり方だから、それでいいと思います。

──消費するものじゃないから。それは受け継がれていく。
小林:湯浅さんはご自宅に作品を飾っていますか?
湯浅:2、3枚ほど人の絵を持っていて、自分の部屋に飾ってますね。
あとはオブジェとかが好きなので飾っています。
自分の絵は飾ってはいないのですが、買ってくださった方のお家とかに行くと、あ、こういう風に飾っているんだ、って発見があります。
小林:持ち主の好みで、展示の仕方も様々ですよね。
湯浅:すごく印象的な経験があって。
以前、私にとっては大きなサイズの絵を描いて名古屋で展示したことがあるんです。
ただ描きたくて描いたもので、見てもらえたら嬉しいなと思い出品したその大きな絵を、設計士の方が買ってくださったんです。
小林:そんな大きな絵を。
湯浅:その方は、これまで絵に全然興味が無く、初めて私の作品を見てくれて、よく分からないけれどこれが欲しい、って言って買ってくださったんですね。そうしたら、その絵を飾るために家をリフォームされたんです。そして、一枚作品を買うと、色々な人のものをまた欲しくなるって言っていたんです。
小林:それはすごい経験ですね。
湯浅:それで思ったんですけれど、ものを買うって、要するに所有するってことですよね。
絵は消費されないから。それは受け継がれていくじゃないですか。
自分のものが、いつか他の誰かのものになるかもしれない。
誰か受け継いでくれる人が出てくるかもしれないっていう。
小林:そこがいいところだと思いますよね。
アートは消耗品じゃない。
湯浅:自分がいなくなっても、それは所有者の想いとともに受け継がれていくんですよね。

PROFILE
湯浅景子 Keiko Yuasa
画家。1973年名古屋市生まれ。
色を塗り、線を掻き、また色を重ねて塗りつぶす。
それを繰り返しながら、ひとつの景色が立ち現れるのを待ちます。
HOTEL VISON(三重県多気町)のヴィラ一室のアートワーク〈2021〉、甲斐みのり著『たべるたのしみ』
『くらすたのしみ』『田辺のたのしみ』(ミルブックス)の挿画(および題字)、月刊誌『小原流 挿花』
〈2022−2023〉の表紙画を担当。2023年に作品集『OMAMORI』(ELVIS PRESS)を刊行。
https://www.keikoyuasa.com/